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2019/01/04

1月4日(金)人生とは

Tweet ThisSend to Facebook | by 日進中学校管理者
「みやざき中央新聞より」
北海道北見市で本紙読者会を開催した日。早い時間に会場の箱カフェ「まんまる茶茶」に
着いた。近所を散歩して時間を潰した。
その時、見つけたのが洋風の建物「ピアソン記念館」だった。 
ピアソンは、明治時代に日本に来たアメリカ人で、宣教師として北海道を転々とし、
大正3年に北見市に辿り着いている。
記念館には、その建物を設計したヴォーリズという建築家の資料も同時に展示されていた。
ウイリアム・メレル・ヴォーリズは、大正から昭和にかけて日本各地の教会やミッション系の
学校校舎の建築を手掛けたアメリカ人だ。岩原侑著『青い目の近江商人』を読んでいる
うちに、目が離せなくなった。
時代は終戦直後。昭和天皇とマッカーサー元帥のあの有名な歴史的会談の背景に、
このアメリカ人が関わっていた。
昭和20年9月7日、近衛文磨元首相の密使が、長野県軽井沢にあるヴォーリズ宅を訪れた。「国家再建のための政治的ご奉公」という文書を携えていた。
内容は、「近衛元首相が天皇のことについてマッカーサーと会談したい。
その場を取り持ってほしい」ということ。
もう一つは「マッカーサーが喜んで受け入れるであろう天皇の単純明快な一言を含む詔勅、
または宣言の構想を考えること」だった。

その頃、連合国は敗戦国・日本の分割統治を企んでいた。
北海道はソ連、九州・四国は中国、関西地区はイギリスが統治を主張していた。
その前提にあったのが天皇を軍事裁判に引きずり出し、処刑することだった。
マッカーサーは分割統治には反対していたが、いずれにせよ日本の行く末に暗雲が
立ち込めていた。
ヴォーリズは、元首相の密使に「死んでもよいご用」と答えた。
65歳の時だった。
彼の妻・満喜子は、NHKの朝ドラ『あさが来た』のモデルにもなった大同生命の創業者、
広岡浅子の娘・亀子と結婚した一柳恵三の妹である。
当時、一柳家は華族であり、皇族とも親しく、戦前、ヴォーリズも昭和天皇と言葉を交わした
ことがあった。その後、彼は日本人に帰化し、9月2日、日本が降伏文書に調印した日には
「天皇陛下、万歳」と題した詩を作るなど日本に強い思い入れのあるアメリカ人だった。
9月10日、ヴォーリズは横浜に駐留していたマッカーサーの側近、サムエル・バーレット将軍
を訪ねた。宣教師の息子で、日本生まれの彼はヴォーリズと旧知の仲だった。
ヴォーリズは近衛元首相とマッカーサーの非公式な会談を申し入れた。
その夜、ヴォーリズはホテルの一室で「マッカーサーが何よりも喜んで受け入れるであろう
天皇の単純明快な一言を含む詔勅の構想」を一晩中、考えた。
翌日、近衛元首相を訪ね、その構想を伝えた。
数日後、元首相はその構想を手土産にマッカーサーと会った。
「その手土産」とは、後に「天皇の人間宣言」と呼ばれるものだった。
「キリスト教徒であるマッカーサーが喜んで受け入れるであろう天皇の単純明快な詔勅は、
天皇自らが国民に向かって、自分は現人神ではないと宣言すること以外にない」と、
同じキリスト教徒であったヴォーリズは考えたのだった。
後に、評論家の上坂冬子さんは昭和61年5月号の『中央公論』に「天皇を守ったアメリカ人」
というタイトルでこう記している。
「ヴォーリズ師が『死んでもよいご用』と言っている通り、彼は身を挺して天皇を庇う役を
果たしたといえるだろう」
天皇とマッカーサーの会談が決まると、ヴォーリズは「お膳立ては終わった。
すべては神のお導きに支配されて動いているように思う」と日記に書いた。

「死んでもよいご用」と、元首相の文書を携えて進駐軍本部に向かったヴォーリズの姿は、
慶応4年、新政府軍の江戸総攻撃を回避させるため、勝海舟の手紙を握りしめて駿府
(現静岡市)滞在中の西郷隆盛に会いに行った山岡鉄舟の姿と重なる。
あの歴史的な江戸無血開城の背景には、西郷に勝との会談を迫る鉄舟の命懸けの交渉
があったのだ。
歴史を動かし、歴史に名を残す人がいる。その人たちに共通して垣間見える心の姿勢は
「死んでもいい」と思えるほどの命の使い道を持っていたということだ。
人生に、そう思える「使命」を見つけた人、一度でもそう思えるものに出会った人は、
この上なく幸せな人である。

「使命」「天命」・・・・・。
果たして、私にとって「教員」「教職」は「天職」なのだろうか?
「死んでもいい!」と思えるほどの命の使い道「使命」を感じる仕事だろうか?
教員生活「あと2年」。
そう思えるような「2年」を過ごそうと、心を新たにしています。
また、そう思える人にも「まだまだ、出逢える!!」
そう信じて、一日一日の「出逢い」を大切にしていきたいものです。
さあ、新学期の準備は整いましたか?
1月7日(月)。
親愛なる日中健児のみなさんが全員揃って登校するのを
楽しみに待っています!!
よろしく!!日中健児!!
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