いろいろな本で「松下幸之助氏」の話題については、取り扱われています。
PHPという雑誌で、「さすが!」という記事を見つけました。
終戦直後の昭和20年10月、松下電器に「労働組合」を立ち上げようと動いていた社員の
代表が、社長の松下幸之助氏に許諾を求めに来ました。幸之助氏は、戦前から「労使一体」
で会社経営をしていきたい考えがありましたが、あえて、「労働組合」の設立には難色を
示しました。しかし、日本の民主化を推進したいGHQの指導があって、社員の要求を認め
ざるを得ませんでした。
翌昭和21年1月30日、松下電器労働組合の結成大会が、大坂・中之島で開かれました。
6000人の社員が詰めかけ、熱気で溢れかえっていまし。た。滞りなく議事が進行し、大会が
大詰めに近づいた頃、労働組合とは対立する立場「社長」の幸之助氏が会場に姿をみせた
そうです。そして、「社長として祝辞を述べたい!」と言ったそうです。
場内は騒然とし、議長らは相談の上、幸之助氏にあいさつをさせました。ヤジが乱れ飛ぶ中
幸之助氏が話を始めると、やがて会場は静まりかえったそうです。
「労働組合の誕生は、真の民主主義に基づく新しい日本を再建する上において、非常に
喜ばしいことであり、心から祝意を表したい。私は基本的には組合活動に賛成するもの
である。組合はいろいろなことが決議され、また会社に対して提案や要望も出てくるであろう。
それが国歌国民のため、またみなさんのためになることであれば、喜んで聞いていこう。
けれども、聞くべきでないことは聞かない。そして、ともども力を合わせて日本の再建に邁進
していこう。」
場内は万雷の拍手に包まれました。
この昭和21年は、GHQの方針により、幸之助氏と松下電器が種々の制限を受けるよう
になります。特に11月には幸之助氏は公職追放の指定を受け、経営者の仕事ができず
松下電器は危機に直面しました。
すると、「労働組合」がGHQに対して、「指定解除の嘆願運動」に乗り出したのです。
その運動は、労働組合幹部が驚くほどの90%を超える組合員の支持を得て、大きなうねりに
なりました。GHQもその代表団を迎えたとき、「また組合が社長の追放要求に来たのか?」
と思ってうんざりしたそうです。しかし、その真逆でビックリだったそうです。
当然、嘆願運動のおかげで幸之助氏は追放条件が緩和されたそうです。
そのときの幸之助氏の言葉が、「ケンカ相手がいないと困るから反対運動をしたんだろう。
恩に着ないぜ!!」だったそうです。
今、「働き方改革」が叫ばれ、進んできていますが、「労使ともに」支持を得られる幸之助氏
のような人が現れてほしいものです。「労使ともに」目指すところは、同じ「お客さんのため」
「社会のため」なのだから・・・・・。学校現場も、「保護者、地域、学校」は対立するものではなく
「ともに」同じ「子どもたちのため」であり、「社会のため」「地域のため」なのだから!!
ともに、手を取り合ってがんばりましょう!!